3月12日(月)午前
               ヴァチカン美術館
           
 最終日の今日は夕方テルミニ駅近くに集合するまで自由行動だ。限られた時間でローマの名所旧跡を出来る限り回ろうと事前にスケジュールを検討した結果、午前中は必見のヴァチカン美術館、午後からはフォロ・ロマーノとその周辺、そしてその後時間があれば郊外に出てアッピア街道とクラウディア水道橋を見ると云った欲張りプランを立てた。果たしてその結果は・・・。
   
【美術館入口前の行列】
 
我々3人は旅行会社が手配してくれたマイクロバスに乗り込んで朝8時前にノメンターナ駅近くのホテルを出発。ヴァチカン美術館まで行く。
 ヴァチカン美術館は予約制がないとの情報を信じて個人で行く予定にしていたが、添乗員さんから予約がないと入館は10時以降になると聞き、急遽オプショナルツアーを申し込んだのだった。
【旧出口上の彫刻(ミケランジェロとラファエロ)】
 
ローマ市内の悪路を走って30分ほどで美術館の入口前に着くとすでに日本人のガイドが待っていた。しかし我々以外のツアーの参加者はなかなかやってこない。家内と息子を美術館前のバールで待機させて待つうちにようやく人数が揃い、何とか9時の入場に間に合った。見学者の長蛇の列に、とにかく月曜日の朝は混雑すると云うガイドさん。これから後が思いやられます。


【ピーニャの中庭】
 
セキュリティチェックを済ませ、混雑するエントランスから長いエスカレータを昇って辿り着いたところがブラマンテ作のこの場所。建物沿いに何カ所もシスティーナ礼拝堂壁画の説明図がある。礼拝堂の中は撮影禁止で、声を立てるのもダメと云うことで、ガイドさんは皆ここで事前に説明を済ませる。我々も懇切丁寧な説明を受けた。

【中庭の松ぼっくり】
 
ピーニャとは松ぼっくりのこと。写真中央の松ぼっくりの大きな置物は1、2世紀頃のローマ帝国の時代に噴水に使われていたそうだ。左右の孔雀も同時期(ハドリアヌス帝時代)のもの。ただしこれはレプリカで本物はブラッチョ・ヌオーヴォにあるらしい。また松ぼっくりの両側の階段はミケランジェロの作と云うことです。とにかく説明に出てくる時代や人のスケールが大きい。

【八角形の中庭】
 
次はピオ・クレメンティーノ美術館の八角形の中庭。ここにはルネサンス期に発掘されたローマ時代の彫刻が陳列されている。ヘルメスやアポロン、ペルセウスなど神話に出てくる英雄の彫刻が多い。写真の門の上方アーチの両側にある矩形の彫刻は石棺に飾られていたもの。

【女神像】
 
残念ながら詳細不明の像です。撮影場所も不明確。
【ラオコーン】
 
有名なトロイの神官ラオコーンの像。ローマ時代に浴場に飾られていたと云う。

【ギリシャ時代のモザイク】
 
八角形の中庭からムーサたちの間へ行く通路の床に貼られているギリシャ時代のモザイク

【プリマ・ポルタのアウグストゥス】
 
ブラッチョ・ヌオーヴォにあるローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの像。ヴァチカン美術館へ来た目的の一つだったのに何故かここにはガイドされなかった。見学コースに入っていないのかあるいはこの美術館ではマイナーなものなのか。たとえそれが模刻だとしてもとにかく残念なことではあった。(写真はヴァチカン市国から)

【ムーサたちの間の彫刻】
 
ピオ・クレメンティーノ美術館のムーサたちの間を飾る彫刻

【ムーサたちの間の天井】
 

【円形の間】
 
ムーサたちの間から続く円形の間の彫刻やブロンズ像

【円形の間の床】
 
円形の間の床を飾るのはギリシャ時代のモザイク

【ギリシャ十字の間】
 
ギリシャ十字の間に何が陳列されていたのか記憶にないが、写真の左右に一部しか写っていない棺についての説明は覚えている。たしか左がコンスタンティヌス帝の母である聖ヘレナの、そして右が娘のコンスタンティアの棺だったと思う。とくに後者のコンスタンティアの棺には興味が湧いた。

【コンスタンティアの棺】
 
コンスタンティヌス帝の娘コンスタンティアは、辻邦生の「背教者ユリアヌス」にもユリアヌスが皇帝になる前に登場している。小説によると政略上ユリアヌスの兄ガルスの妃となった人で、父親に似て燃えるような灰色の目をした気性の激しい女性だったようです。(写真はヴァチカン市国から)

【ギリシャ十字の間の床】
 
ギリシャ十字の間の床を飾るのもやはりギリシャ時代のもの

【燭台のギャラリーへの階段】
 
ギリシャ十字の間から階段を上って燭台のギャラリーへと行きます

【燭台のギャラリー】
 大勢の入場者で賑わう燭台のギャラリー
 
【地図の間】
 
薄暗いタペストリーの間の次は明るく煌びやかな地図の間が続きます

【地図の間、天井の絵画群】
 
いやはや圧倒されます

【地図の間の天井画とイタリア半島】
 


【コンスタンティヌスの間の天井画】

【十字架の出現(コンスタンティヌスの間)】
 ミルヴィオの戦い前夜、コンスタンティヌス(右端)の夢枕に戦いを勝利に導く十字架(中央上)が現れる。

【ミルヴィオ橋の戦い(コンスタンティヌスの間)】
 紀元312年に起こったコンスタンティヌスとマクセンティウスとの戦いを描いたもの。中央上方で神々が戦いを援護している。コンスタンティヌスが勝利したこの戦いあとミラノ勅令が制定され、キリスト教が公認されることとなった。

【ヘリオドロスの間の天井画(ラファエロ)】
 イサクの犠牲、燃える柴、ヤコブの梯子、ノアの前に現れたエホバなどの
旧約聖書の創世記の物語を題材にしている。
修復されたばかりでとても鮮やかな色彩だった。

【聖体の論議(ラファエロ:署名の間)】
 神学の勝利を象徴した絵。絵の上半分は天上の世界で中央にキリスト、左右に聖母マリアと
洗礼者ヨハネ、キリストの足もとの聖霊の左右には四つの福音書が描かれている。
下半分は地上界で、中央に置かれた聖体のまわりで進学者たちが議論している。(ヴァチカン市国解説より)

【アテネの学堂(ラファエロ:署名の間)】
 上の聖体の論議と向かい合わせの壁に描かれたもの。上段中央で右手を挙げているのがレオナルド
・ダ・ヴィンチの容貌をしたプラトン。下段中央左手にはミケランジェロの容貌をしたヘラクリトスが一人寂
しく物事の終わりなき変転について思索している。(ヴァチカン市国解説より


【アテネの学堂(部分)】
 
右端のラファエロの自画像に相対して、左側で白衣を纏ってこちらを見ている美少女が非常に気になった。帰国して調べてみると、この人物はフランチェスコ・マリア・デッラ・ローヴェレという美男子だった。彼はラファエロの出身地であるウルビーノ公国の主であり、またラファエロに壁画を描かせたユリウス2世の甥でもあった。

【アテネの学堂(部分)】
 
右端でこちらを見ているのがラファエロ自身であることは有名。

【署名の間の天井画】
 
中央八角形のまわりの4つの円内には神学、正義、哲学、詩が擬人化されている。
また四隅の矩形内にはアダムとイブの逸話(左端)などが描かれている。

【火災の間の天井画(ペルジーノ)】
 
コンスタンティヌの間、ヘリオドロスの間、署名の間から続く火災の間の天井画。
よく分かりませんが三位一体の寓意よるものだそうです。

【最後の審判(ミケランジェロ:システィーナ礼拝堂)】
 
ヴァチカン美術館の最後はシスティーナ礼拝堂の壁画だ。
礼拝堂は撮影禁止となっているので、ここでは「ヴァチカン市国」の写真画を拝借する。
 礼拝堂へは写真の右奥から入ってくる。礼拝堂は幅13.41m、長さ40.28mの長方形で、
ソロモンの神殿と同じ大きさだそうだ。高さは20.7mあるが思っていたほど広くはない。
当日は礼拝堂が一杯になるすごい人で、じっくりと鑑賞する気になれず、あまり感動する余裕もなかった。
 最後の審判は祭壇側の壁に描かれている。こんなに派手な絵が壁いっぱいに描かれていると
気が散って静かにお祈りも出来ないのではないかと余計な心配をした。

【天井画(ミケランジェロ:システィーナ礼拝堂)】
 
最後の審判の次は天井画を見上げる。天井の中央には旧約聖書創世記の9つのエピソードが描かれている。
それは祭壇側から順に「闇と光の分離」(写真左下。以下順に上へ)、「太陽と月の創造」、「大地と水の分離」、
「アダムの創造」、「エヴァの創造」、「原罪と楽園追放」(写真右下。以下順に上へ)、
「ノアの燔祭」、「大洪水」、「ノアの泥酔」と並んでいる。
大括りすると、最初の3場面は天地創造、次の3場面は男女の創造と原罪、最後の3場面はノアの物語となる。
ただし最後の7番から9番までは話の流れとしては逆になるようである。

【モーセの生涯の出来事(ボッティチェッリ:システィーナ礼拝堂)】
 
礼拝堂の祭壇に向かって左側の壁には旧約聖書のモーゼに関する6つのエピソードが描かれている。
祭壇側から順に、「モーセのエジプト旅行」、「モーセの生涯の出来事(上図)」、「紅海を渡るモーセ」、
「戒律の受託」、「コラ、ダータン、およびアビラムの懲らしめ」、「モーセの遺言と死」。
壁画を描いたのは、新約の方を含めてピエトロ・ペルジーノを主に、ピントリッキオ、コジモ・ロッセッリ、
ピエロ・ディ・コジモ、サンドロ・ボッティチェッリ、ドメニコ・デル・ギルランダイオ、ルカ・シニョレッリら。
ヴァチカン市国より)

【鍵を手渡すキリスト(ペルジーノ:システィーナ礼拝堂)】
礼拝堂の祭壇に向かって右側の壁には新約聖書のキリストに関する6つのエピソードが描かれている。
祭壇側から順に、「キリストの洗礼」、「キリストの試練とライ病者の清め」、「最初の使徒のお召し」、
「山上の話とライ病者の癒し」、「鍵を手渡すキリスト(上図:天国の鍵を受け取っているのは聖ペテロ)」、
最後の晩餐」です。ヴァチカン市国の紋章となっている2つの鍵は上図のエピソードによっているそうです。

【サン・ピエトロ寺院を振り返る】
 
圧倒されるような世界第1級の様々な美術品を見て回っていささか疲れました。午後からの予定もあるので休憩を兼ねて近くのカフェで昼食をとることにした。

【昼食をとったカフェ】
 
入ったところは写真のカフェ。セルフサービスながら値段はなかなかのものでした。全体的に飲食類の物価は高いようです。
 食べ終わって休憩してから、次はフォロ・ロマーノを目指します。


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