3月12日(月)午後(その3)
         クラウディア水道橋
行程図(クリックすると拡大されます)
                                                        
        
 古代ローマの2大インフラとして街道と水道を挙げる人は多いと思う。それまでの街道の概念を 一新し、その後のローマ発展の礎となったアッピア街道は、紀元前312年に当時 の財務官だったアッピウス・クラウディウスが立案し、自らが建設にあたったことは有名だが、もう一方のインフラである水道も同じくアッピウス・クラウディウスによって立案され、アッピア街道と同じ紀元前312年に着工されている。これがローマ式水道としては最初のアッピア水道です。
 ローマ市内に導かれた水道はこのアッピア水道を始めとして総数11本に及んでいるが、そのうち紀元52年に8本目の水道として完成したのが当時の皇帝の家門名をとったクラウディア水道です。この水道を構成する水道橋の一部が現在もなおローマ郊外に延々と連なっているのを見ることが出来る場所があります。それはアッピア街道上のクインティリ荘から北東2kmほどの地点です。
 アッピア街道を散策したあと、もう一つの目的のこのクラウディア水道橋を見るために現地に向かうこととした。
   
【Via Appio Claudioを行く】
 静かな田園の中のAppia Pignatelli通りをのんびりと10分ほど歩いて行くとアッピア新道に出る。アッピア新道を渡ってローマの松の並木が続くAppio Claudio通りを進んで行く。

【FSの向こう側に水道橋が見え出す】
 Appio Claudio通りを歩いてイタリア国鉄(FS)の高架の下を潜って行くと、正面にもう1本のFSの高架橋が現れる。その向こう側に待望のクラウディア水道橋が見えてきた。

【クラウデア水道橋を望む】
 左手の草原の彼方遠くにも途切れ途切れに続く水道橋が見える。

【クラウディア水道橋】
 2本目のFSの高架を潜ると眼前に水道橋が展開する。

【アクエドッティのバス停】
 Appio Claudio通りをさらに歩いて行くとアルケオブスのバス停があった。ここが終点で折り返しとなる。道の両側には相変わらずローマの松の並木が続いている。

【クラウディア水道橋】
 果てしなく続く水道橋。
水道橋は、云ってみれば重力を利用して水を流すだけの構造物だが、
その建設には、1kmあたり僅か34cmの勾配を全長に亘って保つという、
極めて高度な技術が必要であった。

【クラウディア水道橋】
 近づいてみると散歩したりジョギングしている人たちがいました。
この草地は私有地なのか柵が設けられています。

【クラウディア水道橋】
 遂に念願のクラウディア水道橋にやってきました。
それにしても2千年もの昔の史跡が広々とした草原の中にさり気なく建っているのは
感動ものでした。柵もなく近くに寄って直接手で触れることも出来ます。

【クラウディア水道橋】
 アーチは石材の強度を有効に使える構造だ。

【クラウディア水道橋】
 部分的にこのように煉瓦が巻かれているところがある。

【クラウディア水道橋とローマの松】
 2千年もの間水道橋を支えてきたこの橋脚の基礎(地中部分)はどのような構造になっているのだろうか。

【水道橋に咲く花】
 水道橋の橋脚にへばりついて咲く花がありました。
 水道橋は部分的に補修されているところもあるようです。

【水道橋の水流部】
 一部崩れているところから水が流れていた部分が見えています。

【夕日の中の水道橋】
 
【クラウディア水道橋】

【クラウディア水道橋】
 写真の反対側の草地は私有地なのか柵があって入れない。
しかしこちら側の草地は公園のようで自由に散策することが出来た。
2千年の歳月を経た水道橋は人工の構築物というよりも、
風景の中にとけ込んだ自然物と云う感じがした。
まわりに柵がないこともそういう思いを強くしているのかも知れない。

【水道橋の断面】
 水道橋が途切れたところ。

【断続的に続く水道橋】
 北の方にはローマ市内に向かって水道橋が断続的に続く。

【古代の遺跡】
 30分ほど水道橋を見て回ってから帰途についた。
写真はアクエドッティ公園へと向かう途中のAppio Claudio通りから見た水道橋。
将に古代の遺跡という感じがする。

【フェリーチェ水道橋】
 アクエドッティ公園の中には16世紀末に造られたフェリーチェ水道橋があった。

【フェリーチェ水道橋】
 まだ400年ほど経っているだけなので、見た目は健全な形で残っている。ひょっとしたらまだ使われているのかも知れない。

【アクエドッティ公園】
 子供たちが遊ぶ公園を通って団地のような新興住宅地を行き地下鉄の駅を目指す。

【地下鉄の車内】
 少し迷ったが、何とかGiulio Agricola駅に着き地下鉄に乗り込む。A線のこの車両の床には新聞が散らかっていたが、車両自体は新しくて綺麗で車内は明るかった。話で聞いていたほど用心の悪い感じはしなかった。20分ほどでテルミナ駅に着いたのは6時半頃だった。
 このあと駅の近くで集合しイタリア最後の夕食をとったあとホテルに戻った。
 かくして朝のヴァチカン美術館から始まったローマの史跡巡りは何とか予定どおりに終えることが出来た。


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